木を見て山を見ず
2016/09/28(Wed)

あんれまあお馬鹿な私はことわざを間違って覚えてました。
タイトルの「木を見て山を見ず」は不正解で、
正解は「木を見て森を見ず」でございます。
なんか「近くの木ばかり見ていると山に迷い込んでしまう」
ようなイメージがあるからの間違った記憶なのかなと。

まあでもどっちでも意味としては「細かいことばかり気にして
全体を見通せないこと」の愚かさを戒めることわざになると思います。

正確には意味が違うのかもしれませんが、
私がよくこのことわざを思い出すのが博多駅前通を歩くときで、
『街路樹がなくなって寂しいなあ…』という思いとともに、
『なくなったからこそ見える光景もあるなあ』と思うことがあります。

例えばこの福岡銀行のビル、街路樹があるころはビルの全体像がつかめず
街路樹と分離できない光景としてしか見えていなかったのですが、
街路樹がなくなってからじっくりみて初めて「窓がない」ことに気づきました。

20160928fukugin.jpg

地図で調べると正式名称は「福岡銀行福銀システムサービス」
となっているので、千早のNTTのサーバービルみたいに
人も現金もほとんどないサーバーだけあるビルなのかもしれませんね。

で、そのお隣の「損保ジャパン日本興亜」なんて調べずにフルネームを
書ける人の割合はどれくらいなんだろうと思ってしまう長い会社名のビルも
前景の街路樹がなくなるとすごい真四角でサイバーな感じになるのだなあと。

20160928sonpo.jpg

そして、伊予銀行のビルも、一階のベローチェのイメージしかなかったのに、
街路樹がなくなることで「伊予銀行!!!」って主張が強くなったので
『ベローチェのビルじゃなくて伊予銀行のビルだったんだ』
と認識を新たにされた人も多いのではないかなあと。

20160928iyobank.jpg

あと、「IYO BANK」なんてアルファベットあるの初めて知りました。

てな感じなので、街路樹があることで人の目は街路樹に注目して
その付近のビルの足元にしか目が行かなくなっていたけど、
なくなることで全体視がしやすくなって、ビル全体をみるようになったのだろうなと。

正直、街路樹とともにないビルの光景はどこか近未来的ではあるけれど
殺風景に思えてしまうのものですが、ビルの設計者や施工者にとっては、
「街路樹がなくなることで私が意図したとおりの形状を見てもらえて快感!」
なんて思われるのかもしれないなあとも。

おそらく歩道の工事が進むと新たな街路樹等も植えられると思いますので
そうしたものが何にもない状態のビルを楽しみたい方は今のうちに是非是非。

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