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ひねもすのらりくらりかな

福岡在住です。 すろーなペースで食べ物,写真などについて書いてます。

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2020.01.12 Sun » 恵比須流の謎


※(事前の注意とお願い)
今日のブログは全然詳しくない私が山笠について妄想を書いていて,
資料や山笠用語の使用法も無茶苦茶でしょうがなにとぞ広い心でお許しください。


今日明日に成人式を行うところが多いみたいですね。
成人式のニュースを耳にするとなんというか
「正月が結構前に感じる」ような気がするのですが,
博多だとその間に十日恵比須詣りがあるのだなあと。

で,先日十日恵比須神社に行った話を書きましたが,
そこで気づいたのが「恵比須流の方々が結構いらっしゃるなあ」ということ。

やはり恵比須流というだけあって恵比須様関係の神事に駆り出されるのか,
12月に夫婦恵比須大祭~1月の元始祭など~十日恵比須大祭などで
出ずっぱりなのは気力体力時の運揃ってないと大変そうだなあと思っておりました。

山笠を知りだしたころにどこかで読んだ記憶があるのですが,
その現物を探し出せないので根拠はありませんが,
恵比須流についての説明で「人数は少ないが手練の舁き手が多い」
とかいう記述を読んだ記憶があって,今でもそのイメージがあります。
いちおう保坂晃孝 2007 『おっしょい山笠』 西日本新聞社 p.221にも
“舁き手不足が深刻な時代もあったが,旧大浜小PTAなどの協力を…”
と書いてあるので,人数が少ないといってもよいのではないかと。
で,そんな人数の少ない流なのに出ないといけない神事の数が多そうで
大変だろうなあと思っておりました。

基本的に山笠の流は縦に伸びた通り沿いに構成されているけど,
恵比須流は飛び地が多く,綱場町,中間町,中石堂町などは,
他の流に入っていてもよさそうなのに所属が恵比須流なのをみて
先に書いた「人数少ないのに大変そう」というイメージがあったからか
私は「人数が少ないから他の流から構成町を分けてもらっていた」
ようなイメージを勝手に抱いておりました。

で,本日調べものをしていて見つけた以下の文章を読んでいて,
博多部の流について細かく書いていてうれしいな~♪と思っていたのですが
そこではこれまでまったく気づいていなかったことが記されていました。
(リンクをたどると内容豊富な資料にたどり着きますので是非お読みください)

伊藤 裕久, 菊地 成朋, 箕浦 永子, 伊藤 瑞季 2015 近世近代博多における職住近接と地縁的結合の変容に関する研究. 住総研研究論文集 41(0), 97-108.

20200112map.png

上記の文章に明治9年の宅地地下平均額を図にしたものを引用しましたが,
綱場町,中間町,中石堂町のど真ん中に「唐津街道」が通っていて
官内町と中石堂町の地価が一番高い色で塗られているのが分かります。
綱場町,中間町は白色ですがこれは安いのではなく「不明」なので,
同じ唐津街道沿いだから綱場町,中間町も官内町・中石堂町と
同等の地価だったと考えてもいいのではと。

だとするとむしろ唐津街道に沿った綱場町,中間町,中石堂町の
横のつながりが先にあって,それを他の「縦方向で構成された流」と
同分類とするために蓮池町や竪町などの縦の流と一緒になったのかなあと。

そんなことを思いながら恵比須流のHPをみてみると,

“恵比須流(えびすながれ)は天正15年に、太閤秀吉に
よる太閤町割りによって作られた七流の一つで横筋を一貫
した博多五町横筋の綱場町、中間町、中石堂町と石堂川東側
の蓮池町、官内町、上竪町、中竪町、下竪町、上金屋町、
下金屋町、横町(いずれも旧町名)の十一ヶ町で構成されます。“


と説明されていて,綱場町、中間町、中石堂町の記述が先なのですね。

そう考えると,お上から割り当てられた縦方向の「太閤町割り」に
唐津街道沿いで富裕層の多かった綱場町、中間町、中石堂町は反発して
それで縦ではない横のつながりを独自に作り出したのかなあ???
等と思って資料を読もうとしたのですがこのあたりの専門知識が
皆無な私には荷が重かったです。

でも,土居流に関しては似たような現象があるようで,『土居流記録』より,
土居流で唐津街道に近い土居町の上中下,行町は他の構成町より
当番町などを担当する機会が多かったようですね(資料のp.100あたり)。

20200112map2.png

なので,現在恵比須流の方々がいろんな神事にいっぱい参加されているのは,
唐津街道に面したところの富裕層が多い流だったから,
経済的な余裕があったからいろんな神事の担当をまかされていて,
それが現在にも続いているのかなあなどと。

で,そういうことになんで気づけなかったかというと,
唐津街道は現在の明治通りではなくて,
それこそ山笠の時だけ大博通りの車止めが外されて
山笠が通るあの道だから気づきにくかったのかなあと。

20200112karatukana.jpg

って,唐津街道がこの写真の路かどうかは
資料を見て私が思い込んでいるだけなので不明ですが,
なんか「現在の流への流」を妄想出来て面白い体験でした。

なのでこのブログの内容が全く間違っていても
「そんな生半可で書くなど許せん!」と怒らずに,
やさしく訂正をコメントなどでいただけると幸いです。
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く~ねる

AUTHOR : く~ねる

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